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四阿の静謐 -castitatis lilium-

台湾の台北在住。台湾企業に勤める会社員。日々の記録。

なんか一日だけ訪問者数が劇的に増えた日があったのですが、何かあったのでしょうか。最近更新していないのに、何なんだろう。逆に怖い。

イライラフリー

今日はひたすらお客さんからの問い合わせに追われる一日でした。どうしてこんなに集中するのっていうくらい次から次へとメールが来て、それも一回では終わらず続けて同じクライアントからもっと突っ込んだ問い合わせが来たり。ひたすらメールや電話で対応をしているうちに、あっという間に一日が終わってしまいました。とにかくひたすら追われている感じで、精神的にぐったりです。自分のペースが守れない仕事の仕方は合わないんだなとつくづく思います。


少し前から、イライラやマイナスな感情を感じそうになった時、『感じない』ことを自分で選択するよう努めています。歯をぐっと噛みしめるところまでは反射運動でやってしまうんだけど、その時に「わたしはそういうことは感じたくない!」とはっきり胸の内で自己主張するのです。そうすると、いつもならヘドロのようにもやりと胸に広がる嫌な感じがすうっと消えていくのです。

ポイントは、とにかく強くはっきりと「感じたくない!」と思うこと。そこが弱いとイライラに飲み込まれてしまいます。自分を摩耗させるだけのものに、心の在り方の主導権を渡してはなりません。できるだけ明るく、穏やかな心持ちでいたいと願うのなら、それを自ら実現していけばいいのだし、それは自分に出来うることだと今はしっかり分かります。

そんなわけで、イライラフリー生活を少しずつ手に入れはじめています。とても爽やかで健やかな気持ち。もっともっと幸せな気持ちで生きていきたい。

出張要員にならないかと急に問われ、やはり自分には向かないと説明してお断りした。

それで良かったのかどうかとても不安だったけれど、その後気の許せる同僚と卓球をしながらこの話をしたところ、わたしの性格的にも、仕事の内容的にもやらなくて正解だと言われ、少し安心した。

ミニマリストになりたい。

ミニマリスト、というキーワードが最近とても気になっています。ミニマリストを目指す人達のブログを読みあさり、その生活様式と思考回路をどうにかして真似できないものかと試行錯誤しています。とても心地よい文体で書かれているブログに今日巡り合って、その人が「ですます」で文を綴っていたので、わたしも「ですます」に挑戦してみることにしました。その方はオーストラリア在住の45歳の女性の方で、自宅でフリーのお仕事をしているそうです。ブログのポスト一つ一つから、急がず自分のペースを守り、自分に合う快適な暮らしを追い求める静かで真摯な姿勢が伝わってきて、とても好感が持てました。わたしが理想とする女性の一人暮らし生活がそこに在るように感じられたのです。この人のように暮らしたい。素直にそう思えました。

 

ミニマリストとは、最低限度のもので暮らすこと人々を指すようです。雑多さや複雑さを極力排除し、簡潔さと快適さを飽くることなく追求する生き方。聞いているだけで、その美しさに惚れ惚れします。生活様式だけでなく、考え方においても、なるべくシンプルに物事を捉え、見得や嫉妬といったマイナス感情を軽く放り捨て、あるがままを楽しめるような心を持つことで、とても穏やかに暮らせるようです。こういう生き方をしている人は、生きることそのものがきっと楽しいのだろうな。わたしもそうなりたい。

 

今までブログに書きつけることといえば、ほとんどが愚痴や文句ばかりで、感情のはけ口としてしか利用してきませんでした。そういうマイナス感情を持つことがもはや当たり前になっていて、何に対しても自動的に苛立ちを感じるように心の回路がセットされているように思います。自分でもそんな状態とは一刻も早くおさらばしたいのですが、マイナス思考が自動化されていて、どうにもコントロールできないままもやもやと毎日を過ごしているのです。

でも、今日その文体の美しい人のブログを読んで、自分がイライラするのは、イライラすることを自分が『選択した』からなのだと少し理解できました。全ての自分の感情は、自らがそう感じようと選びとったものなのだと。イライラする原因は全て自分の外にあるものだと決めつけていたわたしには、最初はなかなか受け入れがたいものがありましたが、ゆっくりと噛み締めて幾度が読むうちに、腑に落ちたのです。そうか、自分で自分の感情を決めることができるんだ、だからいつも明るく穏やかでいようと思えば、必ずできるのだ、と。外的要因はあくまでそこに存在するだけのことで、それをどう捉えてどう感じ取るかは、あくまで自分次第なのです。

まだ完全にはこの考え方を自分のものにはできていませんが(気づいたの今日ですしね)、明日からの日々を、できるだけこの気付きに基づいて生きていきたいと強く思います。そうしたら、わたしが本当に求める穏やかな暮らしが実現できるはずですから。

安息日の始まり。

台湾は今日から滅多にない四連休。おまけにお天気も絶好調で、早速春をすっ飛ばして初夏の陽気がやってきた。幾分眩しすぎる太陽も、今までの冬に逆戻りしたかのような冷たい雨の日々に比べれば、膝をついて祈りたくなるほどありがたい陽気。太陽のない世界では本当に暮らしていけないと思う。北欧に並々ならぬ憧れを持つワタクシですが、日照時間の少なさにはやはり二の足を踏んでしまう。雨さえ降らなければ大丈夫かもしれないけれど。雪の日はそんなにメンタルやられないから。

 

ここ一週間?二週間?ほど、年度末というのもあって仕事が際限なくどしゃどしゃ下りてきて、時間に追いまくられる毎日。日々鬱積していくストレスをHey! Say! JUMPの曲でどうにか乗り切ってきた。

『ウィークエンダー/明日へのYELL』両A面シングルは神作品。タイトル曲2曲もものすごく元気が出るポップナンバーで、『ウィークエンダー』なんか一時期朝から晩までずーーっと聴いてたくらい。明るくてオシャレで、有岡くんのラップがとってもクール!カップリングも負けずに魅力的な粒揃いで、特に『スーツデイズ』が可愛すぎてキュンキュンでござります。メロディーもさることながら歌詞がもうね。片思い男子の曲って何であんなに萌えるんだろう。もー大好き!このシングルでいっぺんにHey! Say! JUMPファンになった。メンバーも全て覚えたし(初めて山田涼介くん以外のメンバーの顔と名前を知ったよ)。『ウィークエンダー』以前のシングルも聴いたけど、いかにもジャニーズって感じのアイドルソングでわたしの好みではなかった。それなのにこのシングルは本当にどストライクで、これぞ王道ジャパニーズポップ!という感じ。聴き飽きないな〜。

 

相方はあれ以降何にも言ってこない。このままタイムリミットまで何もせずにいるつもりなんだろう。そして一応は悲しそうな素振りを見せてわたしと別れるつもりなのだろう。内心やっと終わったと胸を撫で下ろしながら。

此の期に及んで自分から何のアクションも返さない相方に、手酷く裏切られたような気持ちにさせられているわたしはとても身勝手だ。それが相手のやり方だと、自分が選んだ相手がそういう人間だと認めさせられるのが嫌で、自分の見る目のなさを、運のなさを直視するのが我慢できなくて、そうしていつまでも来もしない相手からのリアクションを待っている。お前は負けたのに、この賭けに。

 

外はますますいい天気。そろそろカフェから出て、散歩の続きをしよう。

鬱々しい。

容赦なくうず高く積まれてゆくファイルの山。3月末はもう請求書が切れないことは誰にも理解してもらえない。何たって会計年度の区切り方が違いますしね。自分の手元の仕事だけちゃっちゃとはけさせればおkって話ですよねわかります。人のことを思いやる、慮るとかいう文化ないですしねわかります。わかりますって、ば。

仕事はきらいじゃない。自分のペースを乱されるのが嫌なのだ。事情があってわざと処理を滞らせているのに、それを無視する勢いでどっさどっさ次から次へと仕事を持ち込まれるのが腹立たしいのだ。眼前の状況に対してなんにも思わないその鈍感さに苛立つのだ。でもわたしにはどうすることもできない。そんな相手に対して、わたしはどこまでも無力だ。そもそも、相手に気遣いを求めること自体が間違っている。そんな義務は相手にはまるで無いのに、さも相手の至らなさのせいだとばかりに心の中で罵詈雑言を吐きまくるわたしは、アホや、アホやとわかってるのに瞬間沸騰ばりの早さやから止められへん。周りが理解できないのをいいことに、ぼそぼそっと日本語で呪いの言葉をつぶやく。黒インキが心の水面にブワッとにじみ広がるのが分かる。時には目尻に涙さえにじむ。心は相手を殺したいほど憎んでいるのに、そのどす黒く重たい感情を身体が哀れんでいるかのように。こんなんだから、35になってもわたしは自分を肯定できないし、この世で一番わたしを嫌っているのは自分だと思う。だから、誰からの愛情も信じられないのだと思う。

 

村山由佳の『花酔ひ』のハードカバーをたまたま古本屋で見かけて、試しに買って読んでみた。欲望と欲望が呼応する物語。自分が望むものとの邂逅を果たして、どうしようもなく嵌って堕ちていく4人の男女の物語。純粋なむき出しの欲望がぐいぐい迫ってくるような筆致。でも結末があまりにもあっけなくて、それまでのねっとりと濃密な昏さが嘘のように掻き消えて、ポイっと置いて行かれたような気がした。やや消化不良。途中までは身体が少し悶える程の引き込み様だったのに。

性的嗜好と身体の相性というのはどうしようもなく存在するもので、それは相手を人間として好きかどうかとは基本的に関係がないと思う。ただ、自分の秘めた欲望を満たしてくれる存在に溺れる、そのなんと甘美な歓び。抜け出せないと思ってしまうのもわかる。理性やら常識やら、ありとあらゆる社会性とは対極にある営みで、自分を完全に一体の動物へ還元してしまうほどの解放。もはや麻薬に近い作用さえあるような気がする。だからこそ長く続ければ病んでしまうのだ。快楽だけの生活は、あまりにも気持ちよすぎて満足するがあまりに、人の心身を蝕む。ここが、人のヒトたる所以だろう。

滅入る。

産休を取っている同僚が久しぶりに会社に来て、赤ちゃんの写真を見せてくれた。幸せそうな笑顔。良いことだ、とシンプルに思う。四六時中面倒見なきゃならなくて大変、と言いながらも、どこか満ち足りた微笑みがそこにはあって、嗚呼、幸福な選択をしたのだなと感じさせられる。そういうのはとても、いい。自分の選択に後悔がないというのは本当にありがたく、幸せなことだと思う。そういう人生を歩める人が、とても眩しくて好きだ。そして、やはりどこか羨ましい。

 

台北は雨ばかり降り続いていて、冬に逆戻りしたかのような湿気と寒さに本当に気が滅入る。部屋はいつもかび臭く、お風呂は換気扇が無いためにいつも湿っていて、気が付くとタイルのあちらこちらに黒かびが繁殖している。空気が鬱陶しいほど重苦しく、湿気のせいで髪の毛のうねりが最高にひどい。とても尋常な精神で暮らせる状態ではない。外にいるときはそれでも仕方がないと諦められるが、部屋の中にいてもこの居心地の悪さ。本当に住環境が悪すぎる。