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四阿の静謐 -castitatis lilium-

台湾の台北在住。台湾企業に勤める会社員。日々の記録。

評価されたい。

とても久しぶりに机の上を整理整頓した。レシートの山をとりあえずクリアファイルにいっしょくたに入れ、使っていないPSPの箱に付属品を詰め込んで脇の棚に仮置きし、折り畳み傘はカバーを掛けてこれもまた棚に仮置きし、ティッシュで机の隅に溜まった埃を拭いた。本当に一時しのぎの片付けで、根本的にモノを在るべき場所にしまったり、収納スペースを新たに作ったり、仕分けしていらないものを捨てたりしたわけではない。それでも心がずいぶん落ち着いたのは、ずっと心の何処かで片付けなきゃという強迫観念があって、それが幾許かでも軽減されたからだろう。人間生活をまっとうに営むには、それなりに整理された秩序ある空間が必要なのだと、改めて思った。週末になったらもっと根本からきちんと片付けよう。そしてもっと心穏やかに、静かに暮らせるようにしよう。居るだけで心に負荷がかかるような部屋はいけない。それを回避するには、こまめに片付けて、こまめに掃除して、常に一定の整理レベルを保つことが必要なのだ。それを疎かにすると、生活リズムまでおざなりになる。

 

今日は朝から面倒なことに巻き込まれて、普段話さない人のところへ事情を聞きに行ったり、普段無視される人と相対してやっぱり無視されたり、部署の姉御の優しさをちょっと感じたり、まあ色々疲れた一日だった。普段と違うことが起きて、それにいかに的確に対処するかが問われる場面に出くわすと、わたしは必ずと言っていいほど何の役にも立たない。自分が間に立って複雑な話を解明したり、人をまとめあげたり、意見を述べて結論を導き出したり、そういう所謂『中心人物、リーダー的存在』からは最も遠いところにいる人間なのだと、都度痛感させられる。リスクを取って物事をどうにか前に進めることができない人間なのだ。常に周りをウロウロしたり、オドオドしたり、当り障りのない非建設的なことしか言えないわたし。仕事はいろんな人間がいて回るというけれど、わたしのような存在は果たして必要なのだろうか?もっと実際に役に立つ人間でないと、会社で働く意味が無いんじゃないだろうか?そうなるにはどうすればいいんだろうか?……なんて前向きっぽく考えるふりをして、実は今の自分で何が悪いんじゃと傲慢な自己肯定にゆるく浸かっている毎日なのだった。

心の片隅でこれじゃイカンと思っている自分は確かにいる。毎日焦っていると言ってもいい。華々しくキャリアなウーマンとして活躍し、頼りにされる存在として仕事の最前線に立つ女性同僚を見て、ああいう風に仕事ができてこそ、仕事をする意味があるんだろうと心から思う。でも一方で、ああはなれない、なり方もわからないし、なれるための努力を一生懸命がむしゃらにできるとも思わないと知っている自分もいる。今の自分のままで必要とされる人間でいたい、そんな虫歯のできるような最高に甘い考えで仕事をしているのだ。もちろん出来る範囲の努力はしている(つもりだ)し、自分なりに考えて仕事をしている(つもりだ)。すごく怠けているわけじゃない(つもりだ)し、どちらかと言えばひたむきに仕事をしている(つもりだ)。でもそれが必要とされる人間の成果かと問われれば、おそらく周りの人間はNOと言うだろうと思う。それがとても物足りなく歯がゆい。自分が得意とする方面の頑張りは、世間様からはそんなに評価されない分野のもので、ああどうしてこっち方面でしか頑張ろうとできないのかな、まあそりゃ大した苦労も嫌さもなくできるしね、苦手な方は相当決心を固くしてやらないと結果出ないしね、そこまでやる気もないしね、とぶつくさ心の中でつぶやいている。

 

痩せないねー。はふう。