四阿の静謐 -castitatis lilium-

台湾の台北在住。台湾企業に勤める会社員。日々の記録。

追悼

ダイエットのためにスクワットを始めている。なんでも、腹筋を100回200回やるよりスクワットを15回やる方が効果が高いのだそうだ。今はまだ多くて6~7回続けるのが精いっぱいだけど、気長にやれば回数も増やせるだろうとのんびり構えている。なにより、鏡で見ながらやるとお腹の肉にしっかり効いているのが見て取れるので、やる気も出ようというものだ。本当に牛歩の歩みだけど、ちょっとした運動を生活サイクルの一部にできていけたら、少なくとも以前のようにぶくぶく太っていくことはないだろうと思うし、もっと言えば少しずつでも痩せていけるかもしれない。そうしたらいつの日か、憧れのワンピースだって着られるかもしれない。かも、かもね。

 

『昼顔』を昨日やっと見終わった。最後はちょっと駆け足的な展開で、もう1話くらいとってじっくり修羅場の後を描いてくれてもよさそうなものを、と思ったが、この速さこそが現実なのかもしれないと思った。現実でも、ばれた後の展開は、きっとこんな風に早送りのようにすさまじいスピードで終わりに向かって収束していく。そして何が何だかわからないまま、気持ちをすべて置いてきぼりにされたまま、心身ともボロボロのまま、何もなかったように日常へと引きずり戻され、何もなかったように振る舞うことを強制されるのだ。

「ただ会って抱き合う、それだけが愛の営みではない。たとえ離れ離れになっても相手の幸せを願い続ける」それこそが人間という生物の愛なんだと、北野先生は最後の校内放送で語った。そうなのかもしれない。でも、それを渦中の最中にいる人が悟ってしまうのはすごい。当時わたしは全くそうは思えなかった。ただ会って抱き合うことが許されない、その事実に我慢がならなかった。心の一番奥で途方も無い怒りを覚えながら、どうしようもなく虚しくて、やるせなくて、哀しくて。思い出は美化されるものだから、わたしのこの感傷は実はとても薄っぺらい虚構なのかもしれない。それでも、あの目の眩むような絶対的幸福を、そして槍で心臓を刺しぬかれるような絶対的不幸を、たしかにこの身と心で感じてきたのだ。その後、わたしは遠くからあの人の幸せを願い続けることができていただろうか?できた日もあったし、できない日もあったし、それが交互に繰り返される毎日だったような気がする。……もうよく思い出せない。でも、当時の日記を読み返すたび、はっと胸を突かれる言葉の連続で、どんなにわたしが幸せで、愛し愛されて、猜疑心と嫉妬に苦しんで、魂を亡くして、そこから再生していったか、紡がれた言葉一つ一つが、僕に涙を流させる。

 

今日はあの人の4回目の命日です。墓参りにも行けないわたしですが、心のなかで祈らせてください。そして、どうか。わたしがそちらに行ったら、今度こそ永久に仲良く暮らそう。嫌だといっても、それまでに鍛え上げた(はずの)大きく広い心で、今度こそあなたを受け止めるから。だから、それまでわたしを忘れないで。