四阿の静謐 -castitatis lilium-

台湾の台北在住。台湾企業に勤める会社員。日々の記録。

介護って本当に人の本性をあぶりだすね。

お母さんが「死にたい」って言った。

祖父母が施設に入ることになった。「サービス付き高齢者向け住宅」というので、夫婦で入る場合、二部屋あてがわれて、一部屋を寝室、もう一部屋を居間にできるとのこと。

実は数か月前に祖父が脳こうそくで急に倒れ、母と叔母が千葉から新潟まで二週間交代で通って、入院した祖父と家に取り残された祖母の面倒を見ていた。家のことはすべて祖父が取り仕切っていたので、祖母は一人で髪を洗うこともできず、不安に打ち震えて母たちに頼りっきりだったそうだ。

祖父が退院し、ヘルパーさんを入れて生活を始めてみたものの、祖父はいつ起こるともわからないめまいに悩まされ、祖母は相変わらず一人で何にもできない状態なので、二人にはしておけないと悟った母たちは、悩んだ末、祖父母に施設に入ってもらうことに決めた。

母は電話で、「苦渋の決断だった」と言った。祖父母は施設に入ることにもちろん乗り気ではなく、特に祖母は自宅を離れることに相当抵抗感を示したという。祖母が望むのは、今までどおり母と叔母が交代で千葉から面倒を見に来てくれることだが、それはもう無理なのだった。叔母も母も心身ともにもう疲れ果てており、体重は5キロ以上減ったそうだ。それに、通い介護をしていたら、仕事を持つ母の生活は立ち行かない。

「〇〇ちゃん、助けて……」「もう死にたい……」
涙声で母からそんな言葉が出たとき、あまりの不意打ちにとっさに言葉を返すことができなかった。親を施設に入れなければならない自身の不甲斐なさと、どうにもならない現実の板挟みになって、母は本来の明朗快活さを失っていた。こんなに弱弱しく、悲観的な母の姿を見るのは初めてだ。
「助けてって、私にどうして欲しいの……」
そんなこと聞くべきじゃない、聞かなくたって答えはわかっている。母は私に戻ってきてもらいたいのだ。一緒に暮らして、母は介護、私は家の生活を支える、そういう体制を敷きたいのだ。そんなこと、痛いくらいわかっている。わかってて、あえて、知らばってくれている。

私には、今の生活を投げ捨てる勇気も覚悟も持てない。
祖父母のために、母のために、と言ったところで、それを「犠牲になる」としか思えない。

この自分勝手な考え方のしっぺ返しは、いずれ私が人の手を借りないと生活できない年になったときに来るんだろう。私は子供を産まないし、金もないので、本当に苦しく、つらく、寂しく、孤独でしんどい老後になることはわかる。脳こうそくで倒れたらそのまま、遺体が腐ってにおうまで誰にも発見されないかもしれない。特殊清掃の方にお世話になるのかもしれない。

 

自分の無力さに、涙も出ない。哀しみも感じない。

話がそれた。

私も仕事がつらいとき、人間関係がくそみたいなとき、「死にたい」とよく母に漏らしたことがあった。母は、こういう気持ちでその言葉を聞いていたんだな、と今思う。家族に「死にたい」と言われるのって、恐ろしくショックだ。

自分に一番近しい人が、そういう重みのある言葉を吐いてしまうほど苦境に置かれていて、でも自分にはそれを救う手立てがない(と自分は思っている。思い込んでいる、思い込むように自分を仕向けているだけかもしれない)。はっきりと目の前でSOSを出されているのに、わが身を投げうって救いに行こうともしない、どこかで冷めている自分にぞっとしながらも、仕方ないじゃん私にだって私の人生があるんだとかなんとか言い訳ばかりつぶやく自分にうんざりする。

ショックを受けているのは間違いない。でも、真剣に受け止めようとしない私がいる。

現場にいないのをいいことに、他人事のように思おうとしているのがわかる。何の手助けもできなくて申し訳ないと言いながら、だってしょうがないじゃんと思っている。そしてそんな自分を(うわべだけでも)恥だと思うのは、母や家族に対して済まないと思う気持ちからじゃなくて、年を取った将来の自分がもっとひどい目に合うことを想定しているからだ。
祖父母には母がいる。両親には妹がいる(たぶん彼女が世話する)。で、私は?

責任を感じて世話をしてくれようとする人なんか、だぁれもいない。世話する人間を創らなかった罰が、その時に下るんだろうな、と思う。